ボーイ隊


スカウティングを考える


ボーイ隊 隊長 渡邉亮太


 スカウティング、それはいったい何でしょう。「『ボーイスカウト』って何をするの?」そんな質問に一度は窮した経験があるのではないでしょうか。キャンプをする、ハイキングをする、奉仕活動をする、、、そのような活動をすること、そのように返答する機会が多いのではないでしょうか。野外での活動をする機会は多いです。ただし、そのことがこの活動のすべてというにはいいがたい、私はそのように感じています。つまり、ただそのようなスキルを学ぶ場だけにとどまらないと思うのです。私の中の現在の答えは、「社会を生き抜く術(すべ)」がスカウティングではないかと感じています。「社会」を生き抜く、そのような莫大な想像がどうしてできるのかを少しお話します。以下は、ボーイスカウト活動=スカウティングという前提でお話します。

 例えば、「社会の中」で誰かと協力して物事を進める場合があります。自分だけが動けば完遂できる物事ではない場合が多くあるでしょう。そのような場合、どうしても相手の様子をよく観察し、何をすることがよりよいかを考えなければなりません。相手が求めることが、ややもすると技術が必要なことかもしれません。あるいは、信頼関係が無ければ成り立たないようなものかもしれません。「社会の中」での出来事は、みんながみんな、親切な人かどうかわからないときもあります。いつも、やりやすいとは限りません。そのような状況へ、「大人」と言われる年代になると飛び込まなければならない風潮は、現在も(少しずつ変化はしつつも)変わらないと言えるでしょう。しかし、その段階へ向かう以前の子どもたちの経験では、学校や同じスポーツへ取り組むなどという狭い範囲での「社会」経験が主だっているものと考えられます。それでは、この先進むべき場所は、どのように映るでしょうか。

 そこで、スカウティングです。昔からボーイスカウトでは、「Plan Do See」ということが言われています。最近では「PDCAサイクル」などと呼ばれていたりしますが、自分たちで考え、実行し、反省していきます。横の図がそれを示しています。そのために、リーダーが用意したものをこなす・やるのではなく、自分たちで考えて行うということを少しずつ行っていきます。ボーイ隊がその、第一歩なのです。

そして、そのような思考を養うために、「自然」の中での活動が多くなります。なぜなら、「自然」は「理不尽」だからです。自分たちの思い通りにはならない環境が、「自然」です。そのなかで、自分たちがやりやすく生活するにはどうしたらよいかを考えます。うまくいかないことも多いはずです。それでも、その経験を生かせるように、いつでも準備していかなくてはならないのです。


「そなえよつねに」。スカウティングが発揮できるのは、「社会」の中にあると思います。

以上